#100周年

100周年記念対談〈後編〉もっと広い視野で、世界へ

2024.07.24

大和屋100周年特別企画!

大和屋の太田啓一社長と、太田社長の旧友で、350年以上の歴史を誇る瀬戸焼の窯元の12代当主、加藤裕重さんの対談が実現しました。

実は、大和屋の100周年記念に、特注の豆皿セットを加藤さんへお願いして制作していただいている経緯もあり、取材当日はその制作工程や試作品も見せていただきつつ、昔懐かしい思い出話を挟みながらの和やかな対談となりました。

前編に続き、後編ではお二人の今後の展望について、たっぷり語っていただきます。

前編の記事はこちら


《お話を聞いたひと》

(写真右)
喜多窯 霞仙 12代当主
加藤裕重さん

1959年、愛知県瀬戸市赤津町生まれ。東海高等学校、明治大学卒業後、家業に入り、祖父と父に師事。1998年に、喜多窯12代当主を受け継ぐ。日本各地はもちろん、海外でも個展や陶芸指導を行う。

 

(写真左)
株式会社大和屋 代表取締役
太田啓一さん

1959年、愛知県生まれ。東海高等学校、関西学院大学卒業後、アメリカ留学を経て1983年に大和屋に入社。2002年、3代目社長に就任し、海外生産拠点の開拓に尽力。現在は国内外で販売を展開する。

 

うわべだけではない、本当のグローバルとは?

ー対談記事の前編では、加藤さんの再興物語についてお聞きしました。

 

太田 「英語が話せる」という言葉を武器にして、新しい事業を展開して、それが大成功している。
こんな窯元はなかなかないし、代替わりを経てまた新しいステージへ進化しているのは、さすがです。

 

加藤 それでいうと、啓一も言葉の武器を駆使して、自分の代から新しい市場を開拓していった改革者でもあるわけでしょ?
大和屋さんの海外進出は、啓一に代替わりしてから加速していったはず。

 

太田 大和屋は元々家具屋からスタートしましたが、1958年からベビー家具の生産が始まりました。第一次・第二次のベビーブームに成長し、1962年からはベビー家具専門メーカーになりました。
全盛期には国内市場のシェアNo.1を誇っているほどの勢いだったと聞いています。

でもベビーブーム後に少しずつ生活様式が変化して、“脱・たんす”傾向が顕著になると、ベビー用のたんすが主力だった弊社は、少しずつ下降傾向に。
1995年には、当時たんすを主に製造していた自社工場を手放すことになるなど、先行きの不安な時期もありました。

その後、国産のベビータンスの生産に限界を感じ、海外の生産の可能性を模索。2000年に、現在のパートナーであるインドネシア工場と出会い、今につながる主力製品の「すくすくチェア」の生産、販売に乗り出しました。
それに奔走していた私が社長に就任したのは、そのすぐ後の2002年です。

 

加藤 でも当時の海外生産って、今みたいな良いイメージはあまりなかったよね。

 

太田 そう。今ほど海外製の品質レベルは高くなく、中国、タイ、マレーシアの各国で大変な苦労を強いられました。
実際にそれで苦労した期間も長かったので、「やっぱり海外製ではダメなのでは…」と途方に暮れていた時期もありました。

そんなときにご縁があったのが、先に述べたインドネシアの工場。
その工場で、たくさんの人がとても丁寧に、そして誠実にものづくりに打ち込んでいる姿を目の当たりにし、「これなら思い描いていた品質が実現できる」と確信しました。
「どの国にお願いするか」ではなく、「誰にお願いするか」が大切。
信頼のおける生涯のパートナーと出会えたことは運命のようで、今思えばそこから歯車が回り始めたんだと思います。

 

加藤 信頼できるパートナーが見つかるというのは、本当に心強いし、可能性が一気に広がるよね。
お互い、いい出会いがあってこうして事業を続けてこれたことに感謝ですね。

 

誰が継ぐか、よりも「何を受け継いでいくか」

ー今後の会社としての夢や、事業継承についての展望があれば、ぜひ教えてください。

 

加藤 私自身、なんの疑問もなく家業を継いで、ここまでやってきました。
もちろん方法や戦略はガラリと変えて戦ってきましたが、本質的には何も変わっていないと思っています。

それは「日々土に触れて、昔ながらのつくりかたを守りながら、ずっとうつわを焼き続けてきている」ということ。
今また新たにチャレンジしたいこともたくさんありますが、極論は「窯の火が消えなければ、いい」というのが僕の一番の願いであり、大切にしたいことでもあります。

 

太田 とても共感します。
弊社も100年間、時代とともにつくるものは変化し続けて、タンスからベビーチェアへ大きく舵取りをしたこともありましたが、ずっと変わらないのは「木のぬくもりあふれる家具で、子どものいる暮らしを支える」という、この一点。

どれだけ時代が変わっても、家具が使われているその先を想像しながら、自分たちの目の届くところで「つくる」ことにとにかくこだわること。家具を通して子育てをもっと豊かにしていきたい、というところは、ずっと変わりません。

加藤 「つくる」ことにこだわりたい気持ちは、とてもよくわかるし、とても共感します。
いくつになっても自分の仕事がいい仕事だと誇りたいし、できればずっと土を触っていたい。

 

太田 でもその「ずっと」を叶えるためには、継承していくことも大切でしょう。
13代への継承については、今のところどんなビジョンを?

 

加藤 日本人でも、外国人でも、焼きものの世界に足を踏み入れる若者に共通しているのは「夢がある」ということ。
「いつか自分の窯を持ちたい」と思って修業に来ている人がほとんどで、日本人はさらにその傾向が強い気がしています。

そういう子たちをたくさん育てていくことも、もちろん自分の使命であると思う一方で、やはり「自分の窯をどう繋いでいくか?」というところも大きな課題です。
息子たちは本人の意思を尊重したい、というのが僕のスタンスなので、無理に継がせようとも思っていません。

実は今、ベルギーで陶芸家として活躍しながら、日本にもコンスタントに帰ってきてくれている外国人の弟子が一人いて、ゆくゆくはその子に十三代当主を任せたいと考えています。
細かいことはこれからだけど、瀬戸市に居住登録をしてうちの窯も守ってもらいつつ、喜多窯としては日本とベルギーの二拠点になって、僕も行き来しながら…。
ね、楽しそうでしょ?

 

太田 すごい発想だよね。楽しそう!
リタイア後も、世界中飛び回っている様子が眼に浮かびます。

 

加藤 事業継承に「こうするべき」なんて決まりはないし、どんな形でもいいから、僕はとにかくうちの窯の文化を絶やさず繋いでいくことが大事だと思っています。
継承に国籍は関係ないし、僕のスピリットを継いでくれるのなら、それが一番嬉しい。

やっぱり、窯の火が消えないことが、本質的に大事だなと思うんです。
そう考えると、「この人に任せたい」という人に窯をお願いしたいし、それが僕の継承の形かなと思っています。

 

太田 素晴らしい。とても共感します。

 

加藤 大和屋さんは?

 

太田 大和屋のものづくりは今、インドネシアの製造工場と二人三脚で成り立っています。
いつも社員に伝えているのは、「品質をないがしろにした成長は、するべからず」ということ。
先ほども話したようにメーカーとして「つくる」という部分、つまり家具を“製造して”届ける職人だった祖父のDNAは、とても大切にしていきたいと思っていますし、プロダクトやマーケティング手法だけではない、「なにを継承していくか」の部分を、100周年の今だからこそ大切に考えていきたい。

 

加藤 なるほど。

 

太田 そこを大切にしたうえで、販路の開拓というのは不可欠なところです。
今は国内販売が8割で、海外販売は代理店を介したかたちですが、今年の秋にはシンガポールに拠点を構える予定です。成長著しい東南アジア圏へ、さらなる販路拡大に注力していきたいと考えています。
日本中、世界中の子どもたちの暮らしをもっと豊かにしていく、その一点を真っ直ぐに、進んでいくことが目標です。

 

加藤 大和屋さんは、ここからさらにグローバルに!

 

太田 社内でも、社員の1/3くらいは英語が堪能で、それを武器にできるようなスタッフもいるので、ここからもっと、外に出たいとは思っています。

 

加藤 それは素晴らしい!

日本はもう、どんな業種でも、どんな小さな会社でも、世界を見ていかなければいけない時代になってきたから。
「ローカルだから」「小さなマーケットだから」というのが言い訳になる時代は終わって、日本の会社であるというアイデンティティを大切にしたうえで、どんどんステージを広げていく、そういう時代になってきたと思っています。

 

太田 本当にそう思います。

加藤 国内だけでなくもっと広く、日本のものづくりを、守りながらも広げていくことが大事だよね。

 

太田 家具メーカーとしても、「売る」の前にいつだって「つくる」があること、職人たちのクラフトマンシップがずっと受け継がれていくことは、大切にすべきところです。

それこそが、大和屋が考えるベビー家具の在り方で、ずっと変わらない本質だと思っていますし、そのものづくり精神を継承していくことが、未来の大和屋をつくることだと思っています。

 

加藤 事業継承に常識なんてないし、どんな形でもいい。
僕の場合で言うと、後継ぎは日本人でも外国人でも、そこは問題ではない。
啓一の話を聞いていても改めて思ったのは「何を継承していくか」。まさにそこが一番大切だよね。

 

太田 そう。
僕らが家業を継いだときに大切にしていた本質的な部分を、形が変わっても方法が変わっても、ずっと続いてくれたらいいな、と。
そう願っています。

 

加藤 僕はとにかく、窯の火を消さないことを第一に、これからの未来を考えたい。

 

太田 本当に大変なことだけれども、とても大切なこと。

改めて、考える機会をもらえました。
今日は、貴重な話をたくさん聞かせてもらって本当にありがとうございました!

 

加藤 こちらこそ、とても楽しかったです。
大和屋さん100周年、おめでとうございます!

 

 

***

 

ライター 後藤麻衣子

 

yamatoya 100周年記念ページはこちら

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